2014年3月10日月曜日

こころのとうだい、うちむらかんぞう


心の燈台内村鑑三
鉄道
生誕:1861年3月23日 武蔵国江戸小石川
死没:1930年3月28日(満69歳没)
出身校:東京英語学校・札幌農学校・アマースト大学


内村鑑三は、特定の教派や神学に縛られることなく、聖書にのみ基づく
信仰「無教会主義」の創始者、伝道者として知られています。
また社会評論家、社会運動家としても活躍しました。
江戸小石川鳶坂上(文京区本郷四丁目)の高崎藩江戸中屋敷で藩士の
父宜之と母ヤソの長男として生まれました。
維新の変革や父の転勤により、5歳から8歳、10歳から12歳にかけての
幼少期を高崎で過ごしました。高崎英学校で学んだこと、夏に友達と
アユやハヤを捕ったことなどを、後に「嗚呼幸福なりし時よ」と回想しています。
1873年、12歳で上京して東京外国語学校に学び、1877年に札幌農学校(北海道大学)
の二期生として入学し、水産学を専攻しました。「青年よ大志を抱け」で
知られる初代教頭クラーク博士はすでに帰国していましたが、キリスト教精神に
基づく全人教育の校風は強く残っており、同級生の新渡戸稲造らとキリスト教に入信しました。
帰国後、第一高等中学校在職中、教育勅語奉読式で拝礼しなかった「不敬事件」が
非難され辞職。事件後は各地を放浪しながら著作活動に専念し
『余は如何に基督教徒なりし乎』・『代表的日本人』などを出版しました。
1894年、日清戦争に際し、日本にとっての“義戦”であることを訴えました。
1903年、日露戦争の開戦時にはキリスト教徒の立場から「絶対非戦論」を
主張しました。






    

けんとまえばし、いとのまち


県都前橋、生糸の町
鉄道
JR東日本 上越線・両毛線
上毛電気鉄道 上毛線
道路
関越自動車道:前橋IC(高崎市と前橋市に跨っている)
北関東自動車道:前橋南IC、駒形IC
国道17号・国道50号・国道353号・国道291号


県庁所在地の前橋市は、戦国時代は上杉謙信の関東経営の本拠地で、
古くは、厩橋(うまやばし)と呼ばれていました。
関東平野の北西端、赤城山南麓に位置し、市内には利根川が流れる。
伏流水による水質の良さで知られ、中心部で供給される水道水は、その地下水です。
前橋市と南西に隣接する高崎市は、競合・対立関係にあるとされ、
よく「行政や文化の中心は前橋、交通や商業の中心は高崎」といわれることがある。
これは前橋に県庁が置かれており、日本銀行の支店、国の出先機関や大手金融機関、
県民会館に代表される県の施設や医療施設などが集中するなど、古くから行政の
中心地として機能してきたのに対し、高崎は古代から東山道・鎌倉街道が開け、
江戸時代には中山道・三国街道・日光例幣使街道などの主要幹線が交差する
一大交通拠点であり、現代においても新幹線や高速道路などの県内交通の
拠点としての地位を占めていることによる。
群馬県は全国的にも養蚕が盛んで前橋はその中心地でした。






    

2014年3月7日金曜日

くさつよいとこ、くすりのいでゆ


草津よいとこ薬の温泉
所在地:吾妻郡草津町
交通:JR東日本吾妻線の長野原草津口駅から
    JRバス関東の志賀草津高原線で約30分


白根山のふもと海抜1,400mの高所にあり、昔から特殊の泉質で有名です。
江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関に格付けされた、
日本を代表する名泉の一つです。
草津温泉の湯は基本的には酸性泉(酸性低張性高温泉)で、
場所(源泉)によっては硫黄泉なども見受けられます。
酸性が強くpHは2前後、適応症は皮膚病・神経痛・糖尿病ほか。
草津温泉独特の入浴法として「時間湯」がある。
温泉の成分を出来る限り変化させずに入浴する為に熱いお湯を水で薄めずに
湯もみ板で湯をもみ、湯長の号令で一斉に入浴し、3分間の入浴を行う。
最盛期には熱の湯、白旗の湯、松の湯、千代の湯、鷲の湯、地蔵の湯の
6湯で行われていたが、現在は千代の湯、地蔵の湯の2湯で行われている。






    

2014年3月6日木曜日

きりゅうはにほんの、はたどころ


桐生は日本の機どころ
JR東日本 両毛線・わたらせ渓谷鐵道
上毛電気鉄道  上毛線
東武鉄道 桐生線
道路
国道50号(旧:前橋水戸線)国道122号(旧:日光東京線)・国道353号

 
日本を代表する機業都市であり、奈良時代から絹織物の産地として知られ、
桐生織は京都・西陣の西陣織と並び称された。その歴史を物語るように、
市域には数多くの歴史的建造物、史跡などの文化財が残されています。
地名の由来は、「桐が多く自生する土地」から「桐生」とも、
「霧が多く発生する土地」から「霧生」とも言われているが、どちらも決め手は無い。
日本を代表する絹織物の産地であり、製糸、撚糸、染織、縫製など、繊維に関する
様々な技術が集積していることから「織都(しょくと)」という雅称があります。
絹織物の繁栄により蓄えられた富は、桐生明治館・桐生倶楽部・水道山記念館など
多くの文化財や市営桐生が岡公園・大川美術館などを生んだ。下水道普及率も70%を越え、
群馬県内の市では高崎市と並んでトップレベルです。
野球が盛んで「球都」とも呼ばれます。市内には全国制覇を経験した桐生第一高等学校や、
甲子園で準優勝を二度果たした群馬県立桐生高等学校があるほか、
硬式野球部を持つ7校中5校が甲子園を経験しています。







    

かんとうとしんえつつなぐ、たかさきし


関東と信越つなぐ高崎市
中心駅:高崎駅
JR東日本 上越新幹線・長野新幹線(北陸新幹線)・高崎線・
湘南新宿ライン ・上越線・ 信越本線 ・八高線
上信電鉄 上信線
道路
関越自動車道・北関東自動車道・上信越自動車道
国道17号・国道18号・国道254号

高崎市は、関東地方の北西部、群馬県中部よりやや南西に位置する中核市です。
平成の大合併により、群馬県で県内最大の人口を抱える都市となった。
古くから交通の要衝で、中山道(国道17号高崎以南・国道18号)と三国街道(国道17号高崎以北)の分岐点、関越自動車道と北関東自動車道の分岐点、上越新幹線と長野新幹線の分岐点ともなるなど、全国有数の交通拠点都市です。
江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町として、
また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわいました。
街道筋の田町、本町、新町(現:あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほどです。
鍛冶町には鍛冶職人が、鞘町には刀の鞘師が、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名としてとどめています。 現代でも県内有数の商業都市として盛えています。
また、高崎郊外に位置する問屋町は、日本初の郊外型問屋団地です。
高崎市は古くから音楽に関する活動が盛んであることから、高崎市は
「音楽のある街、高崎」と銘打っている。
日本の地方オーケストラの先駆けとして知られる群馬交響楽団を生んだ土地である。






  

2014年3月2日日曜日

おおたかなやま、こそだてどんりゅう


太田金山子育て呑竜
所在地:太田市金山町
交通:北関東自動車道・太田桐生ICより約10分

太田市金山町にある大光院は、浄土宗の寺院で通称「呑龍様」として有名です。
大光院は300年前、僧呑龍上人によって開かれました。
呑龍は当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、
これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から子育て呑龍と慕われました。
また、金山には金山城跡と新田神社があります。
関東平野を一望に収めることができ、西方は一段低くなっており「日ノ池」「月ノ池」があります。
南曲輪には中島飛行機の創設者である中島知久平の胸像が建てられています。





  

2014年2月24日月曜日

えんぎだるまの、しょうりんざん


縁起だるまの少林山
所在地:高崎市鼻高町
交通:JR信越線群馬八幡駅下車

高崎市にある黄檗宗の寺院で「だるま市」で有名な寺です。
例年1月6日・7日開催される「七草大祭だるま市」には、地元はもちろん
各地からの参詣人で賑わいます。
張子のだるまを売る店で埋め尽くされ縁起を祝う人々は、
片目を入れてその年の福運を祈ります。
買っただるまを片手に、ほっかほかの名物焼まんじゅうを頬張るのも
楽しみのひとつです。
高崎だるまは、眉は鶴、髭は亀を表し、全国一の生産量を誇っています。